53

窓のかたち

 佐郷さんというのはとにかくそういうひとなので、会ったときのことを瑞樹に話してみたくなるのは当たり前だと思う。次に顔を合わせた時やっぱり話した。
 その間にそっちのジュースは半分、こっちのコーヒーは三分の一くらいを残して室温になってしまって、その中間に並んだふたつの皿の、どっちにモンブランがあってどっちにベリーのタルトがあったのか、瑞樹はたぶん覚えているんだけどぼくは忘れている。ぼくらの話は佐郷さんのことが終わっても止まるまでにけっこう時間がかかって、話しながらでも瑞樹のひらいた文庫本はたぶん合間合間にけっこう進んだ。外では雨がやんだから店内は日向と日陰に分かれて、瑞樹のグラスにできた結露がコースターへ垂れさがって灰色の三日月になる。
溶けて位置のかわった氷同士がぶつかってからり鳴って、となりの家族の話す声、瑞樹は鼻歌を歌っている。となりでは引かれた椅子が床と擦れて音を立て、ぼくは鼻歌のメロディに聞き覚えがあって、それがどこから来たものなのかを思い出そうとしている。
「どうした?」
 曲名が思い出せない鼻歌が曲名を思い出されないままに止んで、いつもより高い、不意をつかれたような声と入れ替わる。聞き覚えの根拠をさがした視線が勝手に、ずっと瑞樹の顔へ向いていたらしかった。すこし唇をつきだして、まるく見開いた眼。
 なんでも、と言ってみても瑞樹は、本を机に伏せてまで、やっぱり食い下がったから、
「鼻歌、なんだっけって」言いながら右手のスマホをしまう手の動きが、瑞樹の目にとらえられているのがわかる。「聞き覚えあったんだけど、思い出したいから訊かない」
「思い出したいってなに」
 うすく笑って、左の手を本の上に置いたまま、右の手で頬杖をついた瑞樹の顔が、そうして傾いた先で半分くらい日向に入る。
「ええと、」ぼくがどう説明しようか考えながら、視線でなぞった肌の上の陰の輪線の曲がりかたを見て気になった窓のかたちを、前にひとりで同じ店に入ったときにも見たはずなのに忘れたな、と思い出して、だからそれ以後、そのときと同じようにカウンターの向こうでふたりの店員さんが雑談する声をきくと、それに耳を傾けるのは瑞樹のことを考えながらになる。
 勤労感謝の日ってなんなんですかね。そう言った、若いほうの店員さんの、高くてふらふらした声の感じをぼくははっきりおぼえている。
「そうですねえ」コーヒーシュガーの細長い袋をぎざぎざの形に折りたたむ手癖に似た自然さで、ぼくはするっと会話に加わって、「海の日とか山の日なら何する日なのかわかるもんだけど」
「それ言ったら、山の日とかも微妙じゃないですか」
「いや、けっこう効果あるみたい、登山客が増えたり」そこで笑った店員さんは、「あと、お客さんの前で腕組まない」
「あ、すみません」
 はにかんだ顔にいえいえと笑って答える。若いほうの店員さんはそれから注意されたのをごまかすように少し奥へ入って棚のカップを整理しはじめ、もう片方の店員さんはさっきからコーヒーをたてていて、ぼくと二人を隔てるものはカウンターだけではない。
 祝日、登山、外出の頻度と最近の気候。特に興味もない話題の会話にただ相づちをうつだけでも、これまで何回もこの店に入って、見たこともあるはずなのに会話するどころかひとりの人間として認識すらしていなかった人たちと顔を合わせて話してみる、ということのおもしろさはじゅうぶん味わえていた。
けっきょく、勤労感謝の日ってなんなんだろう。進みあぐねた話題がまた戻って、その広がりが滞ったところに、
勤労感謝の日は、」
 その日耳にした中で今のところいちばん低い声が割り込む。L字型のカウンター、ぼくのいる席からふたつ店の奥へ、九十度曲がってまたひとつ奥へ行ったところに座っていた、その声が佐郷さんのだ。

椅子と夢

 家具店はずいぶん遠かったみたいで、体はいつのまにか、売り物のソファのやわらかさにどっぷり浸かってしまっている。向かいに陳列された椅子はどういう仕組みなのか壁に張り付いて、楽器店のギターみたいに上下ジグザグに並んでいる。めぼしいものは見あたらなかった。どの椅子も人間工学に基づいている風にうにょんとした輪郭の、最新鋭の飛行機みたいな形をしていて、でもそのときのぼくが椅子に求めていたのはそういうことではなかったのだ。

 小さな男の子とその父親とが手をつないで、視界の左端へ入ってきて右へと流れていく。父親はべつに片方の肩を下げるような不自然な体勢はとっていないし、男の子のほうもつないでいる方の手を高く上げてはいても肘の伸ばしかたに余裕があって、二人の身長にそこまでの差はないことがわかる。

 真剣に家具の品定めをしている感じではない。男の子はやたら早口で友達とこの間やった何かのゲームの話をしている。父親はそれに相づちを打つだけでほとんど聞いてはいなくて、かといって椅子をちゃんと見ているわけでもない。それよりも息子と歩調を合わせるほうに神経を割いている。

 右の角を曲がって、並ぶ家具が椅子から小さなテーブルへと変わるところで、二人の目が合う。さっきからひんぱんに息子の顔を見ていた父親の視線に、話題が今のものになってからはじめて父親のほうを見た男の子の視線が重なる形だ。父親が男の子のほうを見ていたのは喋るのに必死になっている様子がおもしろかったからなのだが、息子のほうではそれがわからない。戸惑ったせいで言葉がぴたっと止まってしまう。すると父親はそれを察知して、

「そんで?」

と話の続きをせかし、男の子のほうはそれで元の熱狂に立ちかえって、「それでね」も「ええと」もなしに言葉が切れたちょうどそこからまた、さっきと同じ早口で話しはじめる。二人の視線はするっと離れて、父親は右手前にあったサイドテーブルに、息子は正面にある大きくて青い机の値札に、それぞれ目をやった。

 大きい窓は西向きで、部屋には日向も日陰もなく、薄青い影にぼんやり包まれていた。六時半、ソファから降りる。素足を下ろした、フローリングはそれなりに冷たかった。この薄暗い部屋について、ぼくは電気のスイッチがどこにあるのかさえ知らない。

 足下に毛布が冷え切って落ちているのを見つけ、道理で肌寒いはずだ、と思う。拾い上げたそれを四つに畳みながら、どんどん遠ざかっていく夢の中の家具店をつなぎ止める努力をはじめてみた。

 昨日の晩になにも食べないで寝たせいか少し苦痛なくらいにお腹が空いているけれど、家主不在の部屋で食べ物を漁るのは、怒られないとは思うけどなんとなく気が引ける。まあ坂木さんだって朝は早い方だから、どうせもうすぐ起きてくるんだろうし。畳み終えた毛布はソファベッドの背に掛けてあった、昨日着ていたカーディガンと入れ替える動作が、夢の現実感とこの現実感との間に明確な境界線を引く。少しだけ残留していた家具店の風景、さっきまで寝ていたソファとは少しだけ違うあのソファの感触が、ぱちっと記憶に書き換わった。

 カーディガンを羽織って、二歩、三歩、食卓の椅子に座る。自分から寝ている人間のにおいがした。背後に壁を隔てずキッチンと、短い廊下に出るドアがあるのをぼくは知っている。向かいの椅子の背もたれの向こうの窓は、道路を挟んで向かい側にある竹林の青さに埋め尽くされていた。

 視界の隅になにか光るものを見つける。ミネラルウォーターのペットボトルだ。飲み口から一センチ足らずのところにある水面はこの部屋にあるわずかな光をつかまえて輝いている。飲み込んだ唾液がのどにへばりつくのを感じ、水くらいならいいかと、誰に対してなのか釈然としない言い訳を用意した。薄いポリエチレンテレフタラート越しに水の冷ややかさが伝わり、蓋を開ける音が思いのほか目立って、ぼくはそこでやっとこの部屋の静けさをみとめる。

 水は水の味がした。蓋を締め直して、テーブルに戻すことはせずに手に持ったまま、十数センチ降りた水面がぼくの手のかすかな震えに反応してきらきら輝くのを見ていた。飲み込んだ水が体の中を下っていく感触か錯覚かが、夢の整理作業を早めた。時間をかけてじっくりやりたかったのに、という思いをさておいて頭は回っていく。

 夢の整理は、物語の構成や過去のことを思い出すのとは逆の順序ですすむ。大まかなあらすじが成文化できるようになるのは最後の最後で、整理したところで後で忘れてしまうような細かなところが全部固まってからの話なのだ。起きてからのぼくの創作が混じるのはもう仕方がないと思う。筋道だっていないそのままの夢はたしかに魅力的だけど簡単に忘れてしまうし、あとで思いだそうとする現在のぼくによる捏造が逆に増えてしまうことになる。

 窓外、風に笹がざわつくのが聞こえて、それが水面の揺らぎとリンクしたようで一瞬びくっとする。ペットボトルをまたテーブルの上に立て、動揺をとりあえず収めてから、今度は夢の周囲の考え事を整理していくことにした。あの店の雰囲気や、親子のほうに夢の軸が移って自分の身体のことをだんだん忘れていく感じに似たものを探す、夢そのものについて考える。これまでに読んだ言葉や聴いた言葉の中から、関係のあるものやないものが出たり入ったりして、それはそれとして何の脈絡もなく数年前流行った一ミリの愛着もないポップソングのフレーズがひとつふたつ思い出され、ぼくはうんざりする。二口目のミネラルウォーターで空腹を思い出し、あいつはまだ起きてこないのか、とちょっと腹立たしくなる。もう気にせず食べ物を漁ろうか。いっそ起こしてしてやるか。考えるには考えたけど、結局、夢の整理を続けてこのまま時間をつぶすことにした。そう決めたらぼくの考えはなぜか坂木さんに話すことを想定したやり方で進んでいって、そのせいなのか、ふいに背後でトイレの水が流れる音が聞こえても、その後頭上で蛍光灯が点いて後ろから坂木さんの声が聞こえても、ぼくは全然驚かなかった。振り向かず、

「おはようございます」

と返した、そのことばはべつに変な響きをしたわけでもないのに、なぜか知らない人の知らない声のように聞こえた。朝はだいたいこうだ。

「起きてんだったら電気ぐらいつけなよ」と、坂木さんの声は起き抜けでもはっきりしている。台所の流しの水でばしゃばしゃ顔を洗う、その音さえもはっきりして聞こえるくらいだ。

「スイッチがどこにあるかわかんなかったんです」

 ぼくはペットボトルをテーブルに置いて、左手で頬杖をつく。背後では水の流れる音がやんだ。

「そんなの探せばすぐ見つかるのにさあ。どんだけ面倒くさがりなの」

「べつにめんどくさかったわけじゃなくて」

「じゃあなんで」

「思いつかなかったんですよ、そもそも探すことを」

 坂木さんは、あー、と生返事をしてから数秒ぴたっと黙り、それから、

「だからさ、その電気のスイッチを探すなんて単純なことを思いつかない脳みその構造がもう面倒くさがりのそれなんだよ」

 坂木さんはこういう長い説明をするとき、いつにもまして声の抑揚が小さくなる。ぼくは返事をしない。

「なんか食べた?」

「水は飲みました」

「はいはい。食パンとスープでいいね」

 ぼくがそれにうなずいて、なんかしますか、と訊くと坂木さんは、じゃあコーヒーでも淹れて、と言う。ぼくはテーブルの上に昨日の晩も使っていた黒くて古いコーヒーメーカーをみとめてから立ち上がって坂木さんのほうに振り向き、

「粉は」

「冷蔵庫の横、こっち」

 振り向くと坂木さんはキッチンに立ち、右手の人差し指でキッチンの奥を指している。ぼくは食卓を離れて、流し台、坂木さんの背中、パンが焼かれているトースターとスープが火にかけられているコンロを通過し、突き当たり、銀色の冷蔵庫の横にある棚、真ん中の段にそれっぽい袋を見つけて、坂木さんに確認してからそれを持って戻る。

汽車とピアノ

汽笛がきこえていた。

鳥の歌、草のざわめき、車輪のきしむ音まで呑みこんで、どこまでも響いていた。汽車は地平線を乗りこえて、やがておおきな姿をあらわした。黒いからだ、白い蒸気と、灰色の加速度で近づく。汽車の進むさきにはなにもない草原がひろがって、銀色にするどく光るレールがある。

そしてそのうえ、汽車の軌道上にピアノはあった。黒くて小さな、アップライトピアノ。その演奏はずっとずっとつづいているようだった。そうやって、汽車が来るのを、ずっとずっと待ちかまえていたみたいだった。規則正しくならんだ黒鍵と白鍵が、ここにはない楽譜にしたがって、ひとりでに頭を下げる。透明な指がそのうえを這っているみたいだ。

それは何のためでもないだろう。聴衆のいたことさえないだろう。ありきたりの和音が一定の周期をもって、ぽつぽつ連なる。そのどれも聞えはしない。汽車が、まだその傲慢でさわがしい叫び声をとめようとしないから。それがひろく、ひろく、風の手もかりずに響きわたっては、ピアノの音階を片端から残らずうち落とすから。

汽笛は悲しみ泣き叫んでいるようにきこえる。喜びに喚いているようにきこえる。でも、それはひどく無感動な音だ。興奮も落胆も、理由も一切もたないで、同じ高さ、同じ大きさで、それはひたすらにそこにあって、草原をまためぐるだけのものだった。

独奏はつづいていく。もしそこにみえないピアノ弾きが座っているのなら、彼は随分な不器用なふうにみえる。指づかいは丁寧で、神経質なくらい慎重なのに、ひどくたどたどしくて、鍵盤をたたく強さもばらばら。ただ、リズムだけはゆったりとして一定に保たれているようだ。

曲目がひとつ終る。一呼吸ののちまた次の曲が始まる。誰の指もふれたことのないぴかぴかの鍵盤が紡ぐ。ハンマーが弦を鞭うつ。弦は嘶く、どこにも響けない音のために。

ピアノはつややかに黒く光っている、陽光を反射して、そこにある景色を地平線までくっきりと映しこんでいる。まるでピアノのなかにもうひとつ夜の草原がひろがっているみたいだ。名前のない草の、風に揺れる鋭い葉の一枚一枚。足の間からまっすぐに伸びるレール、つぶつぶの錆。敷石のかたち。近づいてくるおおきな機械。ピアノの闇色に支配されてまだ黒い。外装にまで這う蛇のような配線。まぬけなほど短い煙突から、飛び出しては風に曝されてふらふら消えていく煙。テコやポンプ、クランク、連結棒と車輪。からまり合ってまわる。音は汽笛にかき消されてもレールを通じてピアノに伝わるその駆動。大きくなる。大きくなる。ピアノまでがたがた震えはじめた。汽車。ぬらぬらの黒色。それがピアノに映る風景をすべて覆い隠す。

汽笛がきこえている。風はない。いちめんの緑色のなかの黒色が、たったひとつになっていく。夜の草原にひびができた。割れる。なにもかもいっしょくたに、無数の木片にかわろうとしている。アップライトピアノは素っ頓狂な悲鳴をあげた。汽笛に打ち勝って、それは一瞬草原にひろがって、止む。鍵盤がくだけた。内部のこまかな機構が破綻をはじめる。うそみたいに空中で回転する折れた脚。おどりでる切れた弦。

飛び散る、汽車が与えた加速度と、重力の糸にひかれて。通り過ぎる汽車が残していく風のせいで、かけらたちの落ちつく先は不規則だ。草のうえに落ちる。敷石にまざる。レールにぶつかってころげて、止まる。動かなくなる。

時間は雨のように流れた。いまごろ、向こうで汽車が二度目の地平線を超えただろうか。汽笛は消える。草原にのしかかるおおきな沈黙。

ひとつ、強い風がある。それにさそわれて、かけらのひとつが、草のあいだからおどりでた。たったひとつ壊されずに残った、完全な黒鍵。

潜水

ベッドから垂れさがる彼女の脚。

床いちめんに張った水は、ほとんど広がらない波紋とかすかな音で、それをうけいれた。踝のなかばまで浸かる。ほぼ室温の水の、とろりとした感触を、彼女が好きになったのは最近のことだ。そろりと立ちあがる。

この部屋は白くて、広くて、ものが少ない。西側の角にベッド、対角に鉄のバケツ、部屋の中心にキャビネット。窓はひとつしかない。東側の壁、おおきな嵌め殺しのガラス窓。鋭く流れこむ朝陽が、白い壁に橙の平行四辺形を貼りつける。そのなかで、壁に書かれた十本の線が照らされていた。インクや絵の具ではなく、刃物で壁に直接つけた傷だ。

彼女が床を歩きだす。それにしたがって波がいくつも生まれたけれど、彼女の足がキャビネットの前で止まるときには、どれもおさまっていた。

キャビネットは木製。その足の長さは辛うじて水位にまさり、内容物が水に浸かることをふせいでいる。だから黒く湿った足以外は、ところどころひび割れも見えるほど乾いていた。深さのおなじ引き出しが三段あるうちの、一段目を引く。

そこに入っているのは、つるりと磨かれた整った形の小ぶりな林檎がふたつ、だけ。いつでもふたつと決まっている。そんなにいらないと、彼女はいつも思う。どうせひとつしか食べない。

いつもどおり、左の林檎を置きざりにした。

二段目と三段目には、本がぎっちりと詰まっている。じっと見ていると目のちかちかするくらい、いろんな色と大きさの本が並んでいるけれど、ほとんどは彼女の知らないことばで書かれている。だから、そのなかで彼女に読みとおせるもののは数えるほどしかない。そのうちの一冊を、二段目から探し当てて引き抜いた。緑色の背表紙に金色の印字。重たくて、小難しくて、黄ばんでいた。

ベッドへ戻る彼女。その脚を水音が追いかけようとして、諦めた順に、ちゃぷ、ちゃぷ、と部屋に響いていった。本をシーツのうえに投げる。脚は床についたまま腰かけると、肩から上だけが日なたに入って、すこし眩しい。枕元をさぐり、果物ナイフを手に取る。プラスチックの柄に描かれた幼稚なタッチの猫のイラストは、ほぼ消えかけている。

彼女は林檎を、まず縦に真っ二つに切る。彼女の左手に残ったのは半分になった林檎の片方だけ。もう片方は重力に従って落ちて、音を立てて水に潜った。それが浮かんでくるより前に、林檎の四分の一が降ってくる。続いて、八分の一。三度続けて水が鳴った。どぶん、どぶん、どぶん、と、なにかを諦めたような、重いのに気の抜けた音。

彼女の手には林檎の、八分の一だけが残った。その芯をとって皮を剥く。慣れているけれど危うい手つきだ。まだ皮がついたままの林檎の断片が、あいかわらず足下にぷかぷか浮かんでいる。出たゴミはベッドのうえにほったらかした。

ナイフは右手に持ったままで、林檎を口に運んだ。

甘さと酸っぱさと、歯が果肉に埋まる、冷えた感触。おいしいのか、そうではないのか、彼女にはわからない。ただ、林檎だった。いつもそうだ。すこしずつたべて、ゆっくり噛む。

食べながら、窓の外をぼんやり眺めた。交差点、行き交うひとと車と、近くのビルと遠くのビル、見えるものはそれで全部だった。

街の空はきっぱりと晴れていて、雨が降る気配なんてなかったのに、こうもり傘を持って歩くひとが十数人いた。気になることといえば、それくらい。手にあったものを食べおわって、彼女はもうひとつの八分の一を拾いあげる。

バケツのなかに皮と芯とがまた加わった。

外では烏がなにか鳴いていたけれど、その声は彼女に聞こえない。聞こえた街の人たちも、それを気にしていないらしかった。

街はつねに動きつづけている。行き交うひとの動作と、機械の駆動と、風の複雑さ、草や鳥の不規則性に満ち満ちている。けれど、そのなかのどれひとつとして、街に変化をもたらさなかった。それはひどく退屈な風景だったけれど、彼女は見とれている。

陽が完全に昇って部屋から日なたが消えるころ、剥いた林檎の最後のひとくちを食べ忘れていることに気づいて、それでやっと窓の外を見るのをやめた。林檎は指の熱で黒ずんでいた。彼女はそれをベッドの上のりんごの皮や芯と一緒にして両の掌の上に乗せて、ベッドを立ち、部屋の隅のバケツにむかう。使い古されて凹みも目立つそのバケツの、水も入っていないからっぽに、ごみを放りこんだ。ついでにトイレも済ませた。

ベッドに戻るついでに林檎の四分の一をひろいあげて、皮も剥かないでそのまま齧りながら、さっきキャビネットから出して来た本を開いた。古くなった糊のにおい。

本は四百ページ以上ある。遠くの国の首都の歴史について、建築学的に長々と説明が続いている。知らない用語がたくさん並んで、何度読んでも、彼女にはよくわからない。

だからこの部屋の本のなかではいちばん退屈だけれど、ときどき挟まれる図版は好きだった。歴史的な四角い建築物。町の遠景、石畳の広場。二等辺三角形と菱型だけで組まれた真新しいビル。写真はどれもモノクロで、彼女はその色を空想して楽しんだ。そのたび、都市は赤くなったり青くなったりした。もっていた分の林檎を食べおわったら、芯は適当に投げて水のうえに浮かべて、今度は半分の林檎に手をつけた。

途中で本の内容から意識が離れ、目は文字を追っているのに、行間の白さやページの感触、自分の手のあたたかさが気になりはじめる。気まぐれに林檎をかじってみる。そうしたら今度は、果実を噛むたび頭に響く音のせいで、耳のほうに意識が向いた。彼女が口の中のものをすべてのみ込んでしまうと、いよいよ部屋のどこにも音はなくなってしまった。

空気の音もしない、不自然なしずけさ。耳がむずむずするようだ。彼女は本をそっと閉じて、水に足をおろした。

泳ぐ練習をするみたいに、ぱちゃぱちゃと足を規則的にうごかしはじめる。それで沈黙は息をひそめる。

窓のそとは、全体が西からの光で赤く染まっている。まるで泣きはらしたようだ。彼女は視線を動かさないまま、部屋のなかの光を感じ取ろうとする。

いよいよ暗い。朝、水に溶け、青色に成りすましていた闇が牙をむいているのだ。その支配のもと、空気は冷えはじめている。そろそろかな、と彼女は思う。

部屋はさらに狭くなったようだ。彼女はあらためて本をひらいた。林檎はまだ手の中に残っていたけれど、味に飽きたので水に捨てた。キャビネットにぶつかる。彼女の指がページをめくる。護岸工事で直線になった川の図版。何行か一気に読み飛ばして、また次のページへ、ふいにその右下あたり、「計」の字の下半分と「が」の字の上半分を飲みこんで、ぽつりと灰色の、ちいさくて円いしみが現れる。

来た。本を閉じる。手の甲、鼻のさき、膝、うなじ、身体のいろんなところに連続して、ぽつ、という感触がする。つめたくて細い指で、つつかれたような。それはどんどん増えていく。走っていく子供の足音のように水面が鳴く。だれがなにを投げたわけでもないのに、波紋が、波紋が、ひとりでにいくつも現れる。波が複雑性を増していく。天井に映る不定形の影がそれに追随してさわぎだす。ああ。彼女は息を漏らした。

夕立だ。

雨足はどんどん強まる。しだいに目が開けられなくなる。機関銃を撃ち放すような音はきっと、バケツの底にぶつかった水滴の悲鳴。彼女はベッドに戻って本を抱えたまま頭まで布団をかぶった。部屋に満ちているのとは別種の闇がからだを包んだ。目は開いたままでいた。

彼女が見守らなくてももちろん雨は降る。水面を慌てさせ、うかぶ林檎を躍らせて、バケツに水を溜め、クローゼットを黒く湿らせて、布団までが、たたたたたた、とにぶい音を鳴らして、まるでそこらじゅうはパレードだ。そのさわがしさを彼女は布団のなかでちぢこまり、本をぎゅっと抱えてよろこんだ。

窓の外はあいかわらず雨の気配もなく晴れていて、沈んでいく太陽をうかがいながらおそるおそる出てきた月も、何にも遮られないで輝きはじめていた。この部屋だけがどしゃ降りだ。空もない。雲もない。ただ雨だけが降っている。彼女はぎゅっと目を瞑っていたけれど、たしかにそれを聴いていた。よろこびのなかで聴きつづけていた。やがて瞼をおろしても闇のなかで、眠りが訪れても夢のなかで、降りはじめとおなじ早さで、雨が去ってしまうまで。

 

         ***

 

目を醒ましてふとんを跳ね除ける。彼女はまず果物ナイフをさぐりあてて、ベッドのそばの壁にまた一本、線を刻みつけた。十一本目。あの夕立がはじまってからは毎日やっている。

床に足をおろすと足首より下は完全に水に浸かり、彼女のふくらはぎの一部も飲みこむところまで水面は来ていた。

昨晩抱いていた本はベッドの上になくて、たぶんキャビネットの中に戻っている。きのう水に捨てた林檎の食べ残しも消えている。確認するまでもない、バケツもどうせ、からっぽに戻っている。けれど、水だけはすこしずつ溜まっている。上へ上へと。水位は上昇している。

キャビネットは、三段目がもう四分の一ほど水に浸かっていた。一段目の引き出しには林檎がふたつ。また右のほうを取って、二段目を開けて、昨日とは別の本を出した。

いつものように適当な手つきで林檎の皮を剥き、ひとかけをかじりながら、むこうの壁を見た。水位は天井までの距離の、十五分の一くらいまで来ているだろうか。それで十一日かかっているなら、何日後に。

十五かける、十一は。待ち遠しい気もちで、彼女は慣れない計算をはじめる。

しずむ

 

しずんでいく。それは、ぼくにとってはとても唐突なことだったけど、ふしぎと混乱も、恐怖も、不安も起らなかった。息は苦しくなかったし、この海のなかはとてもきれいだったから。青と銀との混ざりあう水面を、ダンスを踊るように泳いで、うたうようにひるがえっている、魚たちの影がさえぎる。波はほとんどない。魚のことも、ぼくのことも、まるで気にしていないように、海はじっと動かなかった。耳がごうごうと鳴っている。なんの音だろうとぼくが考えている。

仰向けに、落ちていくからだ。それにひき裂かれて流れとなる、海の水はとてもあたたかい。背中をやわらかく押し、首すじを、脇腹を、指と指のあいだをやさしく撫でてはとおりすぎていく。宙に浮いているような感覚。眠れそうにない夜に、無理やり眼を閉じて寝ようとして、一時間くらい経ったときの、あの感覚だ。

遠ざかる、水面の向こうに、ひとつの強い光がある。太陽でも月でも星でもない光、蛍光灯とかLEDを想起させる光、機械じみて無機質の、円くて白い光。それはゆっくりと蠕動する水面を金属のようにかがやかせて、泳ぐ魚たちの色を逆光で封じこめて、沈んでいくぼくの眼に、青くて扇状の軌跡を描きながら辿りつき、絶え間なく焼いている、光のするどさは暴力的だった。それでも、すこしずつ遠ざかるにつれ弱まっていた。

からだをつつむ暗闇はたしかに濃くなる。波の感触もおさまって、魚の影も減っていく。海はますます、透明に停滞していった。

おちる、おちる、水のなかを、ぼくのからだが重力のひもに引っぱられて。この海の底はどんなふうだろうと考えている。海底の色について。海底の温度について、手ざわりについて。海底の、魚について。考えている。

やがて、ぼくは眼を閉じる。しずんでいった。

 

懺悔

キャンバスを手に取ったのは、それを床に叩きつけようとしたからだった。けれど腕は、地面と平行になる前に止まった。床にこびりついた絵の具を取り除くことのむずかしさを忘れてしまうほどには、その衝動は強くなかった。

手にあるものをイーゼルに戻して、そこから離れることにする。リビングのドアを開けながらもういちど、キャンバス、まるっきり緑色なキャンバスを見てみると、また両腕がざわざわとした。違う、あれは本ものの緑色ではない、それどころか、思っていたような緑色ですら。

鉄のドアノブが、手の熱でぬるくなる。

 

あの絵を描こうと思ったのは、明け方に散歩をしていて、日ののぼっている最中にコンクリートの隙間から生えていた雑草を見たときだった。

葉脈はぜんぶ緻密に計算して機械で線を引いたように平行で、真ん中のいちばん太い葉脈は裏側に白く出っぱっている。葉はどれも、先がとがったただの帯のような形だ。名まえは知らないが、雑草、とこころのなかで呟けばまず最初に思い出す草だった。一枚だけ、ちぎってポケットにつっこんだ。

家に持って帰ってみてみるとますます、良い色だった。暁の下でも蛍光灯の電光の下でもうす暗闇のなかでも、周囲のぼんやりとした色彩をばかにするように、まったく同じ鮮やかさをはなった。これだけが本ものの緑色、本ものの色だと思った。そしてそれを、キャンバスに映してみたくなった。きっといい絵になる、生まれて初めて描くような、描くことで生まれなおせるような。三日後、金の許す限りに大きなキャンパスといろんな種類の緑の絵の具を買ってきた。

描き始めは順調だった。鉛筆の下書きは無難な出来だが悪くなかったし、色を塗り始めてから二日くらいは緑色をキャンバスに乗せるたびにわくわくした。五日目から頭痛がして、七日目で治り、その日に葉脈も空白もぜんぶ緑色で上書きして、拾ってきた草を捨て、撮っておいた写真も見なくなった。そこからはただキャンバスに緑色をあらん限りに塗りたくった。ペインティングナイフで塗り筆で塗り箸で塗り指で塗り腕で塗り新聞紙で塗った。究極の色彩がここに生まれてくるのだ、と思った。呪術的な儀式のようだと、右後ろから揶揄するような声が聞こえてきて、それをかき消すようにまた緑色を塗り、乗せ、叩きつけた。

そして完成したのがあのただの緑色の集積だった。美しさも純粋性もそこにはなかった。自分の色彩感覚を過信して、それを研ぎ澄まし完璧に発露しきること、を言い訳に計算と技巧と物語性を放棄したところで、ただ時間と絵の具が消費されて、残るのは腕の乳酸と憔悴、それだけだ。

描きはじめてから一ヶ月ほどして、何千回目かのまばたきをしたとき、やっとそれに気づいたのだった。

 

掌を嗅ぐと、油絵の具と雑草と汗の臭いで吐き気がする。だから手を洗った。廊下の床に落ちていた文庫本を棚に戻す。エレキギターが倒れている、いまだに弾けない、弦の張りかえかたも忘れてしまったエレキギターが、埃をまき散らして倒れている。そこにも油絵の具がにおっていて、戻してやるのは面倒だった。

逃げだすように家を出た。スマートフォンの電源をつけて時間を確認すると、昼過ぎを指していた。外はどんよりと曇って暗く、息を吸うと、埃のにおいと車の排気ガスが混じって鼻に入ってくる。

それでも、さっきまで居た部屋にくらべたら涼しいし、油絵の具のにおいがないぶんましだった。イヤフォンをはめながら、結局、あれはなんのにおいなんだろう、と考えた。何度も何度も、今度調べてみよう、と思いながらいまだにわかっていない。もしかしたら、調べるたびにそのことを忘れているのかもしれなかった。

四つ角を左へ曲がって、ファストフードチェーン店の店先を通り過ぎる。脚はいつもの散歩と同じように、最寄の駅に向かう。暑さと湿っぽさに、汗がどろどろと出る。油絵の具のにおいの汗。体じゅうの皮膚を走るその流れが、まるで自分の体を溶かしているように感じられていた。

この体のすべてが溶けたら、汗はきっと数十リットルにもなっているだろう。そしてコンクリートの歩道に染みこんで、数日かけて蒸発して空気に混ざる。そうだ、この湿っぽさはすべて、蒸発した人間の体でできているのだ。あの脂ぎった額の背広姿も、黄色い帽子の小学生も、なにかの楽器ケースを持った茶髪の女も、夫婦なのかそうでないのか釈然としない距離で歩いている中年の男女も、いつかみんな自分の汗に溶けて、空気に混ざっていく人間だ。そんな想像も信号を待つ間にかき消えていく。暑さのせいだと思った。

横断歩道を五、六人といっしょに渡って、十数人とすれちがう。そのなかのひとりに知り合いの女がいたような気がした。立ち止まって振りむいたが、横断歩道を渡っていく後ろ姿はすべて知らない男のものだった。ちいさく息を漏らしてまた歩く。はめたイヤフォンから結局まだ何も流していないことに気がついたがポケットを探るとイヤフォンはどこにもつながってはいなくて、ただイヤフォンジャックが掌のなかをころがった。

厚い雲のうえで日は暮れはじめ、仄暗い街は青くなった。横断歩道、ゲームセンターの外壁、通り過ぎる女のうなじ、噴水の細かな泡、白いものはどれも、病人じみた重っ苦しさに囚われている。海の底にいるような錯覚に陥った。うつくしい色。でも、それを絵に描こう、とは、もう思えなかった。鳥の声。きれいだけど、誰もそれを口で真似しようとはしない。それと同じだ。

立ち止まると一緒に歩いていた人たちに置いて行かれた。踵を返せばすれ違う人たちに無視された。絵を描くのはもうやめよう、と決める。駅にも家にも行かない角を曲がれば、掌のにおいが、すこしだけましになった。